三重津海軍所跡とは?

三重津海軍所跡とは?

三重津海軍所ってどこにあったの?

三重津海軍所は、現在の佐賀市諸富町・川副町の川沿いの一帯にありました。
このあたりは、幕末当時は「三重」という地域区分であり、その港であるというところから三重の津(津は港の意味)、すなわち三重津と呼ばれ、その規模は今の早津江川の西側の河川敷約600mにわたって広がっていました。

三重津海軍所の地区と役割

船屋地区
海軍所として整備される前は、佐賀藩が所有していた和船を管理していました。
海軍所のはじまりである「御船手稽古所(おふなてけいこしょ)」が置かれた場所です。
稽古場地区
長崎海軍伝習所で学んだ伝習生たちが教官となって、藩士らに航海術や測量術、造船術などの教育が行われました。
修覆場地区
洋式船の修理に必要な部品の補修・製造を行う製作場や修船の際に船を引き入れるためのドックがつくられました。

国内最古のドライドック

三重津海軍所跡は、日本が西洋の船舶技術の導入を行い、自力による近代化を目指した過程を知るうえでの貴重な遺跡として評価されています。
西洋のドックは主に石やレンガを材料につくられますが、三重津海軍所のドックは「木」や「土」、和船に使う「船釘」などを用いる、日本の伝統技術を駆使してつくられました。
三重津海軍所跡のドックは、洋式船の修理用ドックとしては現存する国内最古のものです。

ドックって何?

ドック(船渠)とは、船をつくったり修理したりする施設のことです。
通常、ドック内の水は大型のポンプで汲み出して排水されますが、当時はそのような機械がなかったため、三重津海軍所のドックは、日本一とも言われる有明海の潮の干満差を利用して、満潮時に船をドック内に入れ、潮が引くことで自然に排水されるという仕組みになっていました。 ※右の写真は、佐野常民記念館に展示されているドライドックの原寸大パネル。実際に発見されたものは、長さ約60m、幅約20mと巨大なもの。

佐賀藩はなぜこのようなドックをつくったの?

当時佐賀藩が所有していた和船は全長20m程度でしたが、幕末にオランダから輸入した蒸気軍艦「電流丸」は全長45mもありました。
その大きさは、とても船屋地区では管理や修理ができるものではありませんでした。
そこで、南端におかれた「修覆場地区」に、このような大型の洋式船を修理するためのドックをつくったのです。

地中に眠る三重津海軍所跡

三重津海軍所跡のドックの護岸遺構は木材でつくられているため、地上で空気にさらされていると乾燥で風化してしまいます。
風化を防ぎ保護するために、遺構は地中に埋め戻されており、実物を見ることができません。
そのため、当時の三重津海軍所の様子をイメージしていただけるよう、CG映像をVR(バーチャルリアリティ)機器等で体験する「三重津タイムクルーズ」を佐野常民記念館でスタートさせました。
また、同館3階の三重津海軍所跡インフォメーションコーナーでは、パネルや映像、復元模型などで詳しく知ることができます。

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