2015年にユネスコの世界遺産リストに登録された、23の構成資産から成る「明治日本の産業革命遺産」。
おおまかに「製鉄・製鋼」「造船」「石炭産業」の3分野に分けられるが、製鉄と造船で転機となったのが、佐賀藩における鉄製大砲鋳造への飽くなき挑戦と三重津海軍所での実用蒸気船の建造である。
茂木健一郎さんとダグラス・ウェバーさんが、それぞれの立場から三重津海軍所跡の世界遺産としての価値を探った。
2015年にユネスコの世界遺産リストに登録された、23の構成資産から成る「明治日本の産業革命遺産」。
おおまかに「製鉄・製鋼」「造船」「石炭産業」の3分野に分けられるが、製鉄と造船で転機となったのが、佐賀藩における鉄製大砲鋳造への飽くなき挑戦と三重津海軍所での実用蒸気船の建造である。
茂木健一郎さんとダグラス・ウェバーさんが、それぞれの立場から三重津海軍所跡の世界遺産としての価値を探った。
茂木 健一郎さん

茂木 健一郎

脳科学者。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程終了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を出て現在に至る。専門は脳科学、認知科学。
ダグラス・ウェバーさん

ダグラス・ウェバー

アメリカ・カリフォルニア出身。スタンフォード大学在学中に交換留学生として京都大学へ。卒業後、奨学金を得て九州大学へ留学した後、帰国。アップル社のプロダクトデザインエンジニアとして中枢で活躍。現在は日本で株式会社KAMAKIRI COFFEEなどを運営。

対談に先駆けて…

 まず佐賀藩のことを詳しく知るためウェバーさんが訪れたのは佐賀市城内にある「佐賀城本丸歴史館」。ここでは、幕末期に日本最先端の科学技術を誇った佐賀藩と、名君・鍋島直正をはじめとする佐賀の偉人たちについて知ることができる。

佐賀城本丸歴史館を見学するウェバー氏  佐賀城本丸歴史館は、天保期の佐賀城本丸御殿の一部、2、500平方メートルを復元した博物館。国重要文化財「佐賀城鯱の門」を抜けて、本丸御殿の御玄関へと向かう。「日本の城は天守閣のイメージがあるけど、ここは違いますね。石垣など建築物の構造を見るのが面白いですよ」。学芸員に中へと案内され、45メートルも続く畳敷きの廊下を歩いていくウェバーさん。復元の際にも用いられた当時の設計図である『佐賀城御本丸差図』を見ながら、全体構造を見ていく。途中、天井と床下の構造展示に足を止める。古より続く日本の建築技術の奥深さを目の当たりにした。

 そして、見学コースはいよいよ、幕末期の佐賀藩の偉業へと続く。目の前に現れたのは、大量の鉄を一度に溶かすことのできる「反射炉」の模型。中の構造が分かるように断面が展示されている。「鉄を溶かして大砲を作るところから始めているのは興味深い。当時の日本人の〝無いものは生み出す〞という考えは、同じエンジニアとしてよく理解できます。溶鉄に成功した後も、情報は少なく、大砲を製造するために西洋の大砲を何度も解体して構造を研究したのでしょう」。佐賀藩の理化学研究所である精煉方では、技術者たちが研究、実験、そして失敗を気が遠くなるほど繰り返し、一歩ずつ佐賀藩の科学技術を前進させていったのである。日本初の鉄製大砲製造に続き、三重津海軍所での日本初の実用蒸気船の建造。日本近代化の分岐点には、佐賀藩のエンジニアたちの姿があった。

 

スペシャル対談第1弾 三重津海軍所跡に見る日本のものづくりの原点

[スペシャル対談 第1弾]三重津海軍所跡に見る日本のものづくりの原点

茂木氏

日本は元々天然資源もあまり無くて、その中で工夫して近代化を成し遂げるしかなかった。それが日本のものづくりの魂だとしたら、佐賀藩にはさらに純粋な志があるように思うんですよ。科学技術の発展を、純粋に国防に向けたこともそう。

ウェバー氏

日本の近代化は、そうした藩の力で成し遂げられた部分が大きいですよね。江戸時代は「藩」ですが、ムラ社会から始まる地域のコミュニティが昔から細かく分かれていて、地域性が育っていった。アメリカだとまず先に建国をして国を構成する州が出来たけど、日本は地域が先にあって国を構成しています。封建制度が始まって、やがて藩が生まれて、明治維新でそれがひとつの国にまとまっていって。

茂木氏

日本って非西洋国で近代化に成功した国として真っ先に挙げられるんだけど、藩というユニットの存在は大きかったんだろうね。佐賀藩はもちろん長州藩、薩摩藩といった一部の志ある藩の藩主、武士たちが立ち上がったことが近代化に繋がっているんだよね。日本という一つの国の中に、多様な経済政策の単位があったことから各藩がそれぞれの志で動くことができた。

ウェバー氏

それぞれの藩がひとつの国として機能しているんですよね。

茂木氏

そうそう。だから佐賀藩の独特の立ち位置を見ると、トップである江戸幕府が国のすべてではなく、藩の多様性があったから、近代化に繋がったと言える。現代の日本では明治維新の頃の日本人にインスピレーションを貰いたいという人も多いんですが、ウェバーさんから見て、当時の日本人の強みって何だったと思います?

ウェバー氏

そうですね、一昔前の日本人にはハングリー精神があって、ものづくりに卓越して何でも自分で成していこうという考え方が強かったんですよ。生産国であることは国の強みだと思います。何でも外国から買ってきた技術や物に頼るんじゃなくて自分たちが消費するものを自分たちで作り出す。何もなかった時代に、独自に研究して大砲を作り上げたこともそう。それが日本のものづくりの考え方で、佐賀藩の遺構にそれが顕著に残っているのが、今日現場を見て理解できました。

 

本誌ではご紹介できなかった対談内容をご紹介!
WEBサイト限定 対談追加版

ハイテクに勝るローテク
 常識に当てはまらない選択が面白い

茂木氏

ウェバーさんは、アップル社のエンジニア時代はデザインの仕事をなさっていたんですよね?

ウェバー氏

そうですね、デッサンから始めてデザインし、組み立てや仕組みを作るエンジニアリングまでを行うデザインエンジニアという仕事をしていました。

茂木氏

デッサンという仕事って、人間の手と脳で行う部分ですよね。
ものを作るにあたっての軸となるわけだし、作る人間の個性も出る。その手で行う部分の大切さをウェバーさんはずっと感じていると思うんだけど、三重津海軍所跡をどう思いました?

ウェバー氏

当時はもちろんハイテクな技術は無いので全部デッサンで行う…、いやデッサンする物も何も無い状態ですよね。

茂木氏

あ、当時のデッサンって残ってるのかな?残ってないのか。
(スタッフに確認する茂木さん)

[スペシャル対談 第1弾]三重津海軍所跡に遺る現存する日本最古のドライドック木組遺構

ウェバー氏

(残っていないという回答を受けて)多分、立体的に物を作ってみて「ここが排水していないぞ」「じゃあやり直しだな」という感じで試行錯誤を繰り返すしかなかったでしょうね。結構、原始的なやり方だったと思いますよ。エンジニアから見て思うのは、それが最先端の技術や方法でなかったとしても、この土地に最適で自然な技術だったと思います。それはハイテクな技術を無理に使うよりも、機能的で賢いやり方ですよ。

茂木氏

当時の西洋の技術をそのまま持ち込むのではなく、この地に合ったやり方を取っていたということですね。ハイテクよりもローテクの方が賢いやり方というのは面白い。土地の特性を知り尽くした当時のエンジニアだからこその選択だったんでしょうね。

 

新年号(12月15日発行)の内容

世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産である三重津海軍所跡。日本だけでなく世界にとってどのような価値があるのか。茂木・ウェバー両氏が独自の見解で紐解きます。

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