世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つ「三重津海軍所跡」。長崎警備という日本の海防を担っていた佐賀藩は、幕末期にいち早く鉄製大砲を鋳造するための反射炉建造に乗り出し、他藩にも影響を与えた。三重津海軍所の誕生へ続く佐賀藩の歴史と、他藩の反射炉との繋がりを探る。

日本初、反射炉での鉄製大砲鋳造

 1840年に勃発したアヘン戦争。大国・清がイギリスに敗れたことを受けて危機感を高め、いち早く行動を起こしたのが十代佐賀藩主・鍋島直正である。江戸幕府から長崎警備を命じられていた佐賀藩は、海防強化のために長崎港外に台場を作り、長距離射撃が可能な西洋式の鉄製大砲を整備することを決める。当時、日本では青銅製大砲が使用されていたが、低コストで鋳造でき、西洋で主流となっている鉄製大砲を備えることで外国船へのけん制の役割も果たすと考えた。そこで、1850年に反射炉建設に乗り出す。鉄製大砲を鋳造するには、大量の鉄を溶かすことのできる溶融能力の高い西洋式の反射炉が必要。オランダの陸軍少将・ヒューゲニンの著書『ルイク国立鉄製大砲鋳造所における鋳造法』を翻訳・研究して反射炉を造り上げ、試行錯誤の末、鉄製大砲を鋳造。これを皮切りに薩摩や韮山、萩なども続き、日本における産業革命は大きく前進する。

『築地反射炉絵図』 公益財団法人鍋島報效会所蔵

『築地反射炉絵図』 公益財団法人鍋島報效会所蔵

築地反射炉模型(佐賀市・日新小学校校庭内)/写真提供 佐賀市

築地反射炉模型(佐賀市・日新小学校校庭内)
/写真提供 佐賀市

佐賀人モ人ナリ 薩摩人モ同ジク人ナリ

鹿児島県 旧集成館反射炉跡/写真提供 © K.P.V.B

鹿児島県 旧集成館反射炉跡
/写真提供 © K.P.V.B

 佐賀藩における鉄製大砲鋳造の実現は、各地での反射炉建造に好影響を与えた。島津斉彬が藩主となった薩摩藩では、1851年反射炉の建設に着手。これを皮切りに産業振興を目的とした工場群の建設が進められ、後に「集成館事業」と総称されるようになった。薩摩藩が支配していた琉球王国にはイギリスやフランスなどの外国船が頻繁に来航し、軍事力をちらつかせた通商の要求をしていたことから、斉彬もまた海防強化の必要性を強く感じていた藩主の一人。直正と斉彬はいとこであったことや海外に対する意識が共通していたこともあり、佐賀藩との反射炉に関する情報交換も行われていた。斉彬は、反射炉築造に苦心する自藩の技術者たちを「西洋人モ人ナリ、佐賀人モ人ナリ、薩摩人モ同ジク人ナリ。退屈セズ倍々(ますます)研究スベシ」と激励した。

佐賀藩主と韮山代官、反射炉が結んだ絆

静岡県伊豆の国市韮山反射炉/写真提供静岡県観光協会

静岡県伊豆の国市韮山反射炉
/写真提供静岡県観光協会

 天領である伊豆韮山で1857年に完成した反射炉は、実際に稼働した反射炉として国内で唯一現存しているもの。韮山代官・江川英龍は、西洋砲術の研究で知られる高島秋帆に弟子入りし、反射炉などの研究を行っ ていた。そのため、直正は参勤交代の途上で伊豆の三島に逗留し、英龍に意見を求めている。また、佐賀藩士を英龍のもとに派遣して学ばせ、大砲鋳造事業の主任に据えた。韮山で反射炉を製造する際には、佐賀藩から技術者を招いて佐賀藩の様式に倣って造られた。

スケッチから挑戦 萩反射炉の構造

山口県萩市 萩反射炉

山口県萩市 萩反射炉

 現・萩市内には、世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の23の構成資産のうち、5つが点在している。そのうちのひとつが、1856年に建造された萩反射炉。実用炉ではなく「雛形」(試作炉)だったと資料に残るが、試行錯誤を行った過程の施設として貴重な存在である。長州藩は反射炉を築造するにあたり、佐賀藩に技術者を派遣し鋳造方法の伝授を申し入れて、反射炉をスケッチする許可を受ける。そこで描いたスケッチから図案を起こし、それを基に反射炉建造に挑んだ。反射炉の他に、吉田松陰が主宰した松下村塾や洋式船を建造した恵美須ヶ鼻造船所跡など、萩には幕末維新の鍵となった世界遺産の構成資産が存在するが、新たな時代を創造する根底には幾多の挑戦があったことを感じさせる。
 こうして佐賀藩の科学技術は、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼・造船・石炭産業」の構成資産である鹿児島・韮山・萩の反射炉建造に影響を与え、産業化への一歩を大きく踏み出すきっかけとなった。

江戸を守れ!“ お台場” に佐賀藩の大砲約50門

『鍋島直正品川台場巡視之図』公益財団法人鍋島報效会所蔵 『鍋島直正品川台場巡視之図』公益財団法人鍋島報效会所蔵

現在の東京・品川台場

現在の東京・品川台場

現在、フジテレビ社屋などがある東京お台場。1853年にペリー艦隊来航を受けて江戸湾防備強化のために築かれた台場(砲台)である。台場建設の指揮を執ったのは韮山代官・江川英龍。設置する鉄製大砲は、当時国内で大砲づくりの実績のあった佐賀藩に依頼された。佐賀藩は、既に稼働していた築地反射炉に加え新たに多布施反射炉を建造し、鉄製大砲約50門を幕府に納めた。

アンケートプレゼントキャンペーンご応募はこちら

一覧へ戻る

今ならアンケートで佐賀牛当たる!特集記事を読んで参加しよう!

作品募集!郷土の誇りを“未来”へ

モデルコース

三重津-発見旅